■□流行歌は、「歌は世につれ、世は歌につれ」などと言い、記憶がぼんやりした時には、歌は、記憶を引き出すツールの一つになるのでは?
●早稲田の神山さんは、ピンキラの「恋の季節」が寮食堂のTVから流れていたという。1968年のヒット曲である。この年は、『3億円事件』『東大紛争』『エンタープライズ入港』『キング牧師暗殺』『ソンミ村の虐殺』『テト攻勢』『北爆停止』などの年であり、最も印象が強い年である。
●東大の田畑(菊池)さんは、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が思い出の曲との事。1969年のヒット曲で、最初に歌詞がない曲です。深夜放送のBGMだった。それがヒットした。この年は、『人類、初の月面着陸』『沖縄返還決定』『安田講堂陥落』、新宿西口フォークゲリラ、パンスト、8時だヨ全員集合、男はつらいよと68年に続き、多くの寮生が関わった、関わざるを得ない年。
●東大の土屋(小高)さんは、荒木一郎の「空に星があるように」が好きだったとの事。1966年ヒット曲。『ビートルズ来日』『中国・文化大革命』(紅衛兵100万人集会『早稲田、全学バリケード封鎖』『国際反戦デー』、GSブーム、ハガキ7円、サッポロ一番、明星チャルメラが登場。
●土屋さんと同室の方がよく聞いていた曲で、西郷輝彦の「星のフラメンコ」は、同じく1966年。お二人とも、「星つながり」で、遠いふるさとの彼かキレイな田舎の満天の星を思い浮かべていたか?
●早稲田の田畑さんは、黛ジュンの「霧の彼方に」は、1967年は『美濃部革新都政』『小笠原返還決定』『ツイッギー来日』、ミニスカートブーム、教育大の筑波移転、タイガース登場(僕のマリー)
●東大の中久保さんは、「夜明けのスキャット」と千賀かほる「真夜中のギター」の2曲を挙げている。どちらも1969年。
●東大の馬場さんは、GSの一覧?タイガース、テンプターズ、ゴールデンカップス、スパイダーズ、ブルコメ、ベンチャーズ挙げ、歌手も一覧で?中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり、渡辺トモ子、九重由美子、田辺靖男、ザピーナッツ、尾藤イサオをと和製オールディズのオンパレード。
■□歌以外に、東大の石崎(榊)さん、菅谷さんは、『ケネディ暗殺』が1963年である。多分、寮の設立期なのではないでしょうか?
テレビ初の宇宙放送実験開始に流れたニュースが米大統領ケネディの暗殺という衝撃的な出来事だった。
□■私は、西郷輝彦「17才のこの胸に」を誕生日記念でラジオへリクエストし、その会話が流れて、翌日、教室で話題になった。ベンチャーズも高校生時代に学校をサボり、聞きに行った。森山かよこやジェリー藤尾が福島公演の際、宿泊先の友人に頼んで、「顏が見たい」といったら、「部屋にお茶を持って見に行くだけなら」・・部屋をノックし、入室したら、あの森山かよこがなんと、着替えの最中。(少し驚いていた様子だった。当たり前ダ。コチラもビックリ)西郷輝彦の公演は、エコーが気になりやや減滅した。
・タイガースやテンプターズは、ACBなどへ「見にいった」、タイガースは大ブレイクする前のデビュー時でウマイ、カッコイイ。ビートルズの歌もよかった。テンプターズは、ショーケンがメインであとはイマイチ。ただ「親衛隊」が凄い。15人位がアチコチで動く、会場は、女の子ばかりで押しつぶされそうになる。その日は終電が終わり、困っていたら、親衛隊の隊長らしき方が、「誰にもバラさなければ、泊めていい」!?そこは、15人くらいで雑魚寝状態の部屋だった。
・バカばかりでもなく、「エンタープライズ入港」デモで佐世保にいった。(田畑・笠原・瀬脇)の4人組で。帰途は、水前寺公園などグルッと回って小旅行。旅先で知り合ったオジさんがホテルの紹介、食事の招待、最後は、キャバレーの招待までしてくれた。別れ際に何故こんなにもと聞いた。「話を聞いたら、若いのに天下国家の先行きを心配している」との事。(!?)
・国際反戦デーや沖縄・小笠原返還デモも連日に近いほど行った。東大闘争は、約2か月はジーパンにジャンバー姿で、寮にも帰らず。風呂も2-3週間も入っていなかったと思う。(図書館前では、角材で叩かれ、サンデー毎日の表紙にも)第二食堂で新聞紙で寝た。石油ストーブの煤で顏が真っ黒で洗っても落ちない。 続く?
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