2011年8月22日月曜日

●2009年第一回同窓会以降に消息がわかった方々●

●もう40年前の寮生の行方を探す事は、元寮生の協力がなければ難しい。でも寮生同士の「絆」は強かった。元寮生の名簿には、60名を越える連絡先ができた。

・鈴木 進さんは早稲田で、世話人の田畑氏が探してくれた。尾張旭市在住。
・矢野初枝さんは、旧姓が柳田、慶応。世話人の岡部さんから。成田市在住。
・伊藤重子さんは、旧姓が井沢、ご主人が日生協・共済の伊藤さんです。昨日、石川会長がご主人に確認した。

■旧姓・オカセリさんと旧姓・湯浅さんも、伊藤副会長が連絡をとる。世話人の三浦さんは、「ボクちゃん」の連絡先を調べるなど動きだした。

●私の不明者リストには、「朝比奈君・早稲田」「藤田君・稲村君・法政」「館山さん」(ボインな感じの)などがいるが、外国在住は、あの木村さんだ。

■□古い年賀状があったら、元寮生がいるかも知れない。「断捨離」しちゃったか?古い携帯の℡番号も一つの対象。古いアルバムも顔を思い出す。手紙もある。以外と壊れたパソコンの中にも隠れている。

●この前、コープかながわ元専務の井ノ川平等の告別式があった。彼が横浜市長選に立候補した時、彼は、何故か「選対事務局」に私を指名し、1か月以上も休暇をとりましたが、キレイに負けた。その彼が「自分の住んでいる団地でお通夜があった。しかし、参列者は自治会の会長さん、一人だけ。会社からも、親戚さえも・・。」 井ノ川さんの告別式は、大ホールに人が大勢で、入りきれない凄さだった。 二十数年ぶりに逢った奥様と行政区の議長と3人で携帯でパチリ。3人とも、何故か。笑顔だった。

『お葬式、会えばその場は、同窓会』(手塚キミ麿)
『同窓会、生きてるウチに、出席を』(〃)
『同窓会、元気な時に、ご参加を』(〃)

そう言えば、「寮の同窓会」の始まりは、東大の高橋稲代さんのお葬式だった。山際(旧姓)ナオミさんが私に『寮の同窓会みたいのはやらないの?』と私に問いかけたのだ。私は「あの若狭さんらがやればいいと思うが」ナオミ「若狭さんは亡くなったのよ」(ガーン)「オジさんの33回忌なのよ」(エー!)「オバさんは生きているのか?」「ウン、寝たきりだけど」(ナントカしないと!)

●オジさんの死も若狭さんの件も何も連絡がない(地域生協に行った寮生の大半がそうだった)東大生協OBの会世話人会にも寮生がいないので、以前に要請があったので世話人になる。今年、杉目氏も世話人に。(寮同窓会以降に)

・オバさんのお見舞い、オジさんのお墓参り、キックオフ会、ター坊と真知子との再会、そして第一回同窓会の開催となった。高橋稲代さんの事も、東大本郷購買部同窓会の開催会場でわかった。(開催日の前日に逝去)

・今年から会長の石川さんが東大の食堂系のOBの会責任者となる。杉目さんも全体のOBの会世話人。三浦さんは、本郷書籍部の世話人。私は本郷購買部の事務局。(東大生協はもう寮生抜きには一歩も前にすすめないのです)

・寮生は、「東京学生会館」や「早稲田総代会の防衛」など単協のワクを超えて活躍してきました。今も、その伝統を、遺伝子を引き継いでいます。ある意味では、兄弟や友人以上のものがあるようです。

・5大学生協統一寮の元寮生は、各単協で「同窓会」の旗をあげよう!
2011年9月25日第二回同窓会は、『寮生、今も健在!此処にあり」です。大勢の参加者で!(朝から一人でノッテしまいました)

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